2021/12/04 17:23
桜島のお客様のご自宅、ご宿泊されているビジネスホテル、事務所、他にはBARや閉店後の飲食店などに、セラピストの派遣・出張をさせていただいております。
桜島へのご案内は、出張交通費は無料にてご予約承れます。
桜島のご自宅、ビジネスホテルではオイルマッサージ、ボディケア、タイ古式、ストレッチ、ドライヘッド、フットリフレ、また他では珍しいヨガの呼吸法を取り入れたマッサージメニューがございまして、その日お客様の体調やお好みでお選びいただるオーダーメイドのマッサージ、リラクゼーションを施術させていただけます。
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桜島へは、出張交通費は無料にてご案内させていただいております!
その他のエリアへの出張交通費は、こちらをご覧ください。
桜島への出張マッサージのメニュー
ボディケア+ドライヘッドマッサージ
60分 8,800円
90分 11,000円
120分 15,400円
150分 18,700円
180分 22,000円
延長15分 2,200円
アロマオイルマッサージ
60分 11,000円
90分 13,200円
120分 16,500円
150分 19,800円
180分 23,100円
延長15分 3,300円
タイ古式マッサージ
90分 15,400円
120分 19,800円
150分 24,200円
180分 29,700円
延長15分 3,300円
桜島線 駅ご案内
桜島駅Wiki
桜島駅(さくらじまえき)は、大阪府大阪市此花区桜島一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)桜島線(JRゆめ咲線)の駅。駅番号はJR-P17。桜島線の終着駅である。
歴史
桜島駅の元になった天保山駅(てんぽうざんえき)を建設したのは、大阪駅から西九条駅を経由して天保山駅へ至る鉄道を建設した、私鉄の西成鉄道であった。
桜島駅の元になった天保山駅(てんぽうざんえき)を建設したのは、大阪駅から西九条駅を経由して天保山駅へ至る鉄道を建設した、私鉄の西成鉄道であった。
しかし、日露戦争に伴う軍事輸送の増大などもあり、安治川口駅から天保山駅へ至る区間を建設中の1904年(明治37年)12月1日に、西成鉄道の全線を国有鉄道が借り受けて運営するようになった。この借受後、1905年(明治38年)4月1日に安治川口 – 天保山間1.0マイルが開業するが、開業と同時に国有鉄道借受となって営業された。日露戦争後、1906年(明治39年)12月1日に正式に国有化されて、国有鉄道西成線の駅となった[1]。なお、駅所在地は当時すでに築地改め桜島町という町名になっていたが、駅名は安治川対岸にある著名な天保山から採られた。
天保山駅は現在の桜島2丁目、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンのラグーンのあたりに位置しており、安治川岸からやや離れる天保山駅は船車連絡上不便であった。安治川岸に大阪鐵工所(のちの日立造船)がすでに立地していたためこのような位置での開業となったが、天保山駅開業時はまだ埋立造成中であった現在の桜島3丁目の造成が成ると、天保山駅の側線上約0.3マイル先の地点に新たに桜島駅を1910年(明治43年)4月15日に開設し、天保山駅は廃止となった。
頭端を桜島岸壁へ向けた桜島駅の開設後は、岸壁から陸揚げされる石炭・塩・輸入石油類・穀物・木材・肥料などの貨物を発送する拠点として利用されるようになった。1930年(昭和5年)1月には、鉄道省自身が付近に石炭専用岸壁を設置し、国鉄用の配炭基地とした。これにより石炭の輸送量も急増した。この頃には,辺りの岸壁や工場などに多くの専用線が張り巡らされ、一大貨物輸送基地となっていった。大阪港の特性上、各地から大阪港へ到着する貨物を後背地の工場や市場へ送り出す輸送が多く、戦時期をのぞいては, ほぼ一貫して発送量のほうが圧倒的に多い駅であった。
第二次世界大戦においては、軍事輸送の増大から貨物輸送量が急激に増大したが、戦況の悪化に伴い,1944年(昭和19年)頃からは一転して激減するようになった。1945年(昭和20年)7月24日には空襲を受け、職員16名が死亡し、駅舎などが大きく損壊した。この復旧作業には1947年(昭和22年)5月までかかった。
旅客輸送においても、付近の軍需工場への通勤客の増大により、一時は1日5万人を超える乗降客を数えた時期もあった。大戦後は付近の日立造船への通勤客や港湾関係者などが利用し、これによりラッシュ時と閑散時の差が激しい駅であった。
こうして大阪港に関する貨物輸送で大きな役割を果たしてきた桜島駅であったが、貨物輸送の自動車への転移が進むにつれて鉄道の役割は低下してきた。1973年(昭和48年)3月には国鉄貯炭場も廃止となった。桜島駅における貨物取り扱いの廃止は、1986年(昭和61年)9月に国鉄から大阪市に打診され、10月一杯で貨物扱いを廃止した。跡地は日本国有鉄道清算事業団が引き継いで施設の撤去作業を行い、1988年(昭和63年)3月までにすべての用地を大阪市に返還した。
1905年(明治38年)4月1日 – 西成鉄道が安治川口駅から延伸し、その終着として天保山駅が開業。
1906年(明治39年)12月1日 – 西成鉄道が国有化。国有鉄道の駅となる。
1909年(明治42年)10月12日 – 線路名称制定。西成線の所属となる。
1910年(明治43年)4月15日 – 天保山駅が廃止。西方に桜島駅(一般駅)が開業。
1930年(昭和5年)4月1日 – メートル法施行により、安治川口駅との営業キロを1.3マイルから2.1 kmに改定。
1945年(昭和20年)7月24日 – 空襲により職員16名死亡、駅舎・施設が損壊。
1961年(昭和36年)4月25日 – 大阪環状線全線開業に伴う線路名称改定により、桜島線の所属となる。
1966年(昭和41年)3月1日 – 東方へ500m、旧・天保山駅付近に移転。安治川口との営業キロは1.6 kmに改定される。
1985年(昭和60年)3月31日 – 構内の橋はかりを廃止。
1986年(昭和61年)11月1日 – 貨物の取り扱いを廃止。駅西側に広がる大阪港桜島埠頭へ至る多くの専用線が当駅から分岐していた。
1987年(昭和62年)4月1日 – 国鉄分割民営化に伴い、JR西日本の駅となる。
1992年(平成4年)11月1日 – みどりの窓口営業開始。
1998年(平成10年)3月8日 – 新線に移転するための工事が開始される。
1999年(平成11年)4月1日 – ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)建設による安治川口駅 – 桜島駅間経路変更のため、南方へ移転。移転前は現在のUSJのサンフランシスコエリア付近に駅があった。
2001年(平成13年)3月1日 – 路線愛称の制定により、桜島線の当駅 – 西九条駅間で「JRゆめ咲線」の愛称を使用開始。
2003年(平成15年)11月1日 – ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。
2009年(平成21年)10月4日 – 大阪環状・大和路線運行管理システム導入。
2013年(平成25年)12月5日 – ロープ昇降式ホーム柵の試験開始(2014年3月まで。その後撤去)。
2015年(平成27年)
3月8日 – みどりの窓口の営業が終了。
3月9日 – みどりの券売機プラスが稼働。
4月1日 – ジェイアール西日本交通サービス(現:JR西日本交通サービス)による業務委託駅となる。
2018年(平成30年)3月17日 – 駅ナンバリングが導入される。
将来の予定
京阪中之島線が中之島駅から、大阪港トランスポートシステム北港テクノポート線がコスモスクエア駅からそれぞれ延伸して新桜島駅(仮称)を設置する計画がある。2025年日本国際博覧会へのアクセス手段として検討されていたが、間に合わず桜島駅からのシャトルバスで対応することとなった。一方、万博会場隣接地に統合型リゾート誘致を目指しており、誘致が決定すれば延伸計画が進む見込みである。
駅周辺
天保山大橋 – 安治川に架かる阪神高速道路湾岸線の橋。
天保山渡船場 – 安治川を渡る大阪市営の渡船。
ユニバーサル・スタジオ・ジャパン (USJ)
Zepp Osaka Bayside(Zepp 大阪ベイサイド)
ラ・ジェント・ホテル大阪ベイ
リーベルホテル アット ユニバーサル・スタジオ・ジャパン
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